すごい。今すごいものを見ました。見ましたというより聴きました。中学生?小学生?どちらかわからないのですが、自転車に乗った多分少年が歌っていたんです。(現在20時15分)
ここ世田谷でも自転車に乗っている人が歌っているところに遭遇することがたまにあり、いつも「自転車に乗っていると歌いたくなるのは何故なんだろう」と微笑みながらフェードアウトする歌声を楽しんでいるのですが、今回は驚きを隠せず、ポケットにあったスマホ(スマフォ?)のメモアプリを立ち上げて書いています。
(歌いながら自転車乗ってる人、人とすれ違うとボリュームが一気に小さくなりますよね。歌い切っている人を見ると「やるな」と感心します)
今回、私の前を通り過ぎた多分彼の何が凄かったのか。
まず、選曲が良かった。
「…まわる 君をかくして」
フェードインしてきた歌詞とメロディを自分の脳内ライブラリに検索をかけたのは良かったんですけど、まさかその曲?と若干混乱をしていた刹那、
「輝く瞳 きらめく灯」
と続くフレーズにて確信を得た私は5m、10mと離れて行きながら歌い続ける彼の背中と歌声を視界と聴覚から消えるまで追い続けていました。
そう、多分彼が歌っていた曲は
「君をのせて」(歌:井上あずみ 詩:宮崎駿 作編曲:久石譲)
だったのです。
『君をのせてだったら歌う人もいるでしょう?』
『ジブリの曲の中でも名曲じゃねぇか』
仰ることは分かるのですが、令和7年の夏の夜に自転車を駆る多分少年から歌われる曲が「君をのせて」だったのですよ。
じゃあどんな曲なら納得するんだよと言われると答えは無いのですが、「君をのせて」だった驚きは経験した人にしか分からないでしょうね(若干キレ気味)。
そして選曲だけに驚いたわけじゃないんです。
多分彼、めちゃくちゃ歌が上手かった。
歌が上手い人はそれなりに居ると思うんです。スナックとかで「ああ、この人上手だな」っていう人は大体1人はいないですか?
でも、多分彼はその次元じゃなかった。
下り切った夜の帷を震わしていたんです。そう、空気を鳴らせる歌い手だったんです。(私にはそう感じたんです)
いやぁ、本当に感動した。傷ついた。怪我した。
感動することは心に傷をつける(つけられる)ことというのは、脳科学者とか社会学者とかに色々言われてることですが、私もそう思います。
物理的に怪我をすれば視覚的に傷を確認することができたりしますが、心の傷というのは感情や感覚を伴って記憶として残ったりしますよね。
個人的なことなのですが、ここ2年間くらい塞ぎ込むというか、なんかそういう時期でした。なんか色々考えたり悩んだり。辛いこともあったり。人を傷つけたり。離れたり。
ヴェークのポップアップの時に「インスタ更新してない」話を色んな人にされて、その中で
「そもそもイシカワさん、インスタ自体見てないですよね」
と言われドキっとしました。
「なんでわかるんですか?」
「そんなの、見てればわかりますよ」
えー、なにそれ、そんなのわかっちゃうの?
彼氏かよ!
やることがあって、気づいたら夜も更けていて、出掛けるにも遅いってなって、気付くと家から出ていないなんていう日常になっていたり。
久しぶりに人に会うと堰を切ったように話が止まらなくなったり。
そんな日々を過ごすと「〇〇をしに外に出かけよう」とか「〇〇を食べに行こう」みたいなのもなくなってしまいましたね。
釣りには常に行きたいけど。
この状態を不健康とすれば不健康なんだと思うのですが、こういう状態もあって目的を持たずに半径数キロをとめどなく歩くようになりました。
人はそれを徘徊と呼びます。
話の行き先、NAMInoYUKUSAKI、魂のゆくえが分からなくなってきました。
そうそう、君をのせての多分彼が将来歌い手として皆さんの前に現れるかもしれませんね(もしかしたら既に世に出てるのかもしれないですが)。
話がまとまらないので、私が高校生の頃、予備校帰りMD WALKMANを爆音で鳴らしながら歌っていた曲を紹介して終わります。
寒い季節に、冷たい風を感じながら聴くととてもキラキラしてて良いです。(今はめっちゃ夏ですけど)
これを歌ってる私と夜道で遭遇したら 相手の気持ちを考えると申し訳なくなります。
また書きます。
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